![]() (ブラジル・サントス港に到着した笠戸丸) 前回紹介したように、ブラジルへの最初の日本人移民を乗せた移民船を「笠戸丸(かさとまる)」といい、日本の移民史においては、有名な船です。 笠戸丸が1908年(明治41年)に、52日間の航海を経てブラジル・サントス港に到着した6月18日は、今でも「日本移民の日」に定められています。 この時の航路は西回りルートで、東南アジアーインド洋ー南アフリカー大西洋を通ってブラジルまで航海しています。 熱帯・亜熱帯地域を航海する期間が長い西回りルートでは、暑さとの戦いでした。 当時の船内には、空調設備がないため、夜は暑さで満足に眠れなかったそうです。 当時の日本には、「移民会社」という民間企業があり、海外移住は、この移民会社を通して行われていました。この第1回目のブラジル移民を主催したのも「皇国殖民合資会社」という移民会社でした。 笠戸丸は、元々は、1900年に、貨客船ポトシという名で、イギリスで建造された船でした。 その後、国内での需要がなくなり、ロシアに売却されます。 ポトシは、ロシアで、戦争の際に病院船として活用できるように改造され、義勇艦カザンという名前になります。 すると、1904年に日露戦争が勃発、カザンは戦闘にまきこまれて、港の浅瀬に沈没します。 それを日本海軍が引き揚げ、船名を「カザン」の音をとって「かさとまる(笠戸丸)」とし、日本海軍のものにしてしまいます。 そして、先述の移民会社「皇国植民」が、笠戸丸を借り上げ、1908年に第1回ブラジル移民船として使用したわけです。 その後、笠戸丸は日本海軍から民間の海運企業に払い下げられ、様々な航路で活躍しました。 笠戸丸の最期は意外なものでした。笠戸丸は晩年、様々な船主のもとを転々とし、いわし工船やカニ工船といった漁船として使われていました。そして、1945年8月9日、太平洋戦争敗戦直前に、北洋で、ソ連機の空爆によって沈没しました。 人の人生と同じように、一隻の船の一生にも壮絶なドラマがあるのですね。 本題の日本人移民から、少し話がそれてしまいました。 次回は、なぜ、当時の日本人が、ブラジルをはじめとする南米を移住地に選んだのか、についてのお話です。 (つづく)
by alianca2
| 2016-09-02 12:07
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